<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
心と心所は、有縁に属し、かつ、俱生縁、相互縁、依止縁でもある。
心が生起すると、心所もまた、同時に生起する。
故に、それらは同時に存在する力によって、相互に支え合うのである。
四大は俱生法であり、心と心所もまた、俱生法である。
ただし、有縁においては、縁法と縁生法は、必ずしも、俱生法でなければならない、という事はない;
必要な事柄は、唯一、この両者が、暫定的に、重複して(=重なって)存在する時間があるかどうか、及び、縁法がそれらが重複する時に、ある種の方式でもって、縁生法を支援するかどうか、が問われるのである。
このように、有縁は、前生、後生及び俱生法を、含むのである。
例を挙げると、ある女性の目に、人を迷わせる色所縁が映った時、たとえば、宝石等であるが、その時、眼識(見えた)が生まれる。
眼識が滅し去ると、次に、領受、推度と確定心が生起し、確定心が滅し去った後、七つの貪欲速行心が生起する。
色所縁の寿命は、名法の17個心識であるから、色法の存在(有縁)は、それを目標とする一系列の心識と心所をば、眼門心路過程を通して生起せしめるのである(所縁前生有縁)。
(21-3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより
正式に初心者瞑想指導の許可を得る)>