<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
英加帝王は、一国の国王であり、また、宮廷も彼のものであった。
ナラタ梵天王は、仙人に化身していたが、しかし彼には、梵天王の威徳力があったので、人間社会の存在である国王は、王座に坐る事を控えた。
国王は、下方に立って、梵天王に質問を発したが、しかし、彼は尚、邪見を放棄することはなかった。
故に、また再び梵天王に訊ねた:
「ナラタ梵天王、あなた様は、本当に『来世』があると信じますか?
人は、今生で死んだならば、引き続き『来世』がありますか?
来世とは、住むことのできる場所ですか?
あなた様が本当に『来世』を信じているのでしたら、私に500円をお貸しください。
『来世』に1000円にして、お返しいたしますので。」
ナラタ梵天王は答えた:
「もし、あなたが持戒荘厳の人であり、かつ、あなたが良き人である事を私が知っていれば、私はあなたに、お金を貸すでしょう。
というのも、私は、良き人の来世は、必ず善趣に生まれることを知っているからです。
しかし、今のあなたは、悪事に満ち満ちています。
あなたは必ずや、地獄に落ちるでしょう。
一人の、地獄に落ちようとしている人間に、私はどうしてお金を貸す事ができるでしょうか?
もし私が、お金を貸したならば、私はどうやって、そのお金を取り返せると言うのでしょうか?」
世間の人々は、人にお金を貸すとき、ある程度相手に対して理解をしておかねばならない。少なくともこの人間が、怠惰でなく、努力家で、前途があるのだと、判断できなければならない。
今、彼にお金を貸すと、将来、必ず利子と共に元本が返ってくる・・・このような人間であって初めて、人々は、その人にお金を貸すのである。
一人の、大食いでかつ怠け者であり、また元手も持たない人間であれば、彼は借りたお金を使い果たし、お金を返すことなどないであろう。
このような人間に、お金を貸す人は、いないのである。
「あなたは地獄に落ちる人間であるから、私はあなたに、お金を貸せない。」
梵天王は、地獄とは、いかに辛くて苦しい場所であるかという、地獄の話を、始めた。
「この種の、正に地獄の苦を受けている最中の人間に、私は、借金を返して貰いに行けるはずがない。
行ったとしても、彼は借金を返せると思うか?
故に私は、この種の人間にお金を貸す事はない。
ある種の地獄は非常に寒くて、真っ暗で、手を伸ばしても自分の指が見えない。
寒くてお腹がすいて、そこは暗黒地獄と言う。
この地獄の住人は、お互いを見ることができず、また一本の細い道路があるに過ぎない。
一辺は石壁で、一辺は深い淵になっている。
住人はその狭い道の上にいて、ただ只管石の壁に沿って歩くしかなく、食べ物はないので、いつも飢えている。
故に、身体が何かにぶつかると、それを食べ物だと思い込んで、それに飛びついてしまい、結果、深い淵に落ちて、身体は粉々になってしまう。
もし、あなたがこのような地獄に住むとき、私はどのようにして、借金を回収すればよいのだろうか?」
(2-34につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>