南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》3-7(50/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

波羅蜜(pāramī)

次に、「業」、「布施業」と「布施波羅蜜」の「エネルギー」について説明する。

世間的な栄華富貴を祈求する業は、波羅蜜ではない(Paranam es ā pāramī ママ)。

波羅蜜とは、高尚なる者の財産であり、波羅蜜とは、高尚なる者の、習慣的な行為である」

菩薩、仏陀の大弟子(mah ās āvaka ママ)、第一弟子(aggas āvoka ママ)、または比丘、比丘尼等になりたいと発心する者は、善業を累積しなければならない。

善業を累積するという事は、決して世間的な幸福を得たいが為ではなく、今すぐに道智、果智、涅槃智を修習し、かつ己自ら、道、果、涅槃を見る事を言う。

この方式で布施、持戒などを修習するのを、波羅蜜と言う。

布施波羅蜜(dāna pāramī)

普通の人でも、波羅蜜を累積することはできる。

しかし、生命が輪廻するなかでの幸福を祈求する為に、波羅蜜を修するのは、よくない。

どのような事柄を実践していても、純粋な心でもって、道智、果智、涅槃智を得るために実践するのが良く、このようにして初めて、波羅蜜を累積することができる。

世尊がいまだ仏になる以前、菩薩であった時、三大阿僧祇劫の波羅蜜を累積し、また、その時初めて、布施波羅蜜の修習を開始したものでなく、それよりももっと早くから始めており、その結果、世尊は、非常に多くの、波羅蜜のエネルギーを蓄えていたのである。

世尊の、波羅蜜の修習に用いる心、思心所、速行心はすでに、因と縁に従って滅し去っているものの、しかし、そのエネルギーは、すでに蘊流の中において、保たれていたのである。

一生毎、一世毎、毎回の布施、その布施の心、心所、思心所、速行心はすでに滅し去っていても、しかし、そのエネルギーは温存される。

彼が、ヴェッサンタラ王(Vessantara)になったその一生において、布施波羅蜜などは、すでに円満具足し、次には兜率天に生まれて、一生補処の菩薩となった。

その後、兜率天から人間社会にきて、シッダッタ王子(sidadhatatha ママ)になり、かつ、この一生において、果を証して、仏になった。

このように、修行の道において、果を証して、仏になりたいと思うのであれば、波羅蜜と善業のエネルギーを累積するのは、決して欠かす事のできない行為なのである。

(3-8につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>