『阿羅漢向・阿羅漢果』1-2
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
仏陀の時代、仏に従って出家した弟子は、仏教における真正なる修行者であって、彼らは、出来るだけ早く苦を超越する為に、世間を捨棄した。
仏陀の膝下で出家し、教えを受けた後、それ以前の社会的地位、年齢、または性別如何にかかわらず、彼らは法に従って、古い思想と、行為と言動、習慣を、変えた。
あれらの弟子たちは、その時から、煩悩を後ろに捨て去り、二度と煩悩に支配される事はなかった。彼らは、誠心誠意精進・修行をして、煩悩の汚染を解消し、心内を浄化した。
本質的な表現をすれば、誠心誠意修行をするという意味は、修行者が、安定的に、念住と覚知を保持し、心念を不断に観察する事を言う。
我々の一切の姿勢と、すべての思惟と情緒・感情の活動において、念住によって、常に、覚知と省察が出来る時、これを ”正精進” と言う。
我々が、正式の禅の修行を実践しているかどうかはともかく、誠心誠意、己自身の心を<今・ここ>に専注させる時、煩悩が発する所の脅威を制止することができる。
煩悩は、止まることを知らぬように、過去と未来の<思い>を創作し続けて、心を乱れせしめ、心を<今・ここ>から離れせしめ、修行を維持するに必要な、念住と覚知から、離れせしめる。
(1-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『阿羅漢向・阿羅漢果』中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>