<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
私は自分の経験から、話しを始めようと思う。
私が禅の修行を始めた時、私の修行は、基礎を欠いていた。
その時はいまだ、己の心を守る正確な方法を見つけられていなかった為、私の修行は、フワフワとして、定まる事がなかった。
それは、一定期間安定して進展するものの、その後に徐々に減速して、まだ修行を始めていなかった最初のレベルにまで、後退してしまう。
私が修行を始めた最初の頃、非常に奮闘努力した。その為、心はサマーディに静かに専注できるようになったが故に、まるで己自身が、不動の大山にでもなったような、感じがした。
その当時、この境地を保持する為の、適切な方法を掌握していなかったのに、私は短慮にして、己の成功に慢心してしまったのである。
こうして、私の修行は、後退の憂き目に会ってしまった。
修行は落ち込むばかりなのに、私はどのようにして、この状況を打開していいのか、分からなかった。
その為に、私は非常に長い期間、苦難に満ちた探求を行いつつ、強固な基礎を打ち立てて、己の心を安定させたいと思った。
最後に、私は結論を得た:
念住が私から去って行くのは、基礎が間違っているからであるーー私には、念住を保持する為の、精確な専注点としての、念誦詞が欠けていたのである。
(1-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『阿羅漢向・阿羅漢果』 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>