《Vipassanāハンドブック》21-6(F)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(一)苦苦(dukkhadukkhta)
苦苦とは、身体及び精神の苦痛を言う。
(二)行苦(saṅkhāradukkha)
行苦は、色法と心法が遭遇する所の苦であり、この種は唯一以下の内に存在する:
心が常に限定され、制限され、かつ極めて大きな努力によってしか維持され得ない時、遭遇する苦。
梵天の生命または身体(五蘊または生命全体)の内には、多くの行苦がある。
100人の内、梵天に生まれたいと願って、その為に、すべての感官の楽しみを放棄して、社会を離れ、己自身の生命を顧みず、苦行を修する人はほぼ存在しない。
梵天に生まれることは善い事であると、人々は知ってはいるものの、修行をするのは厭うのである。というのも、彼らは修行とは、非常に艱難であり、困難であり、受苦であると思っているが故に。
禅定と出世間の智慧を得たならば、必ず非常に細心にそれらを保持するように努力しなければならない。というのも、もし保持しないのであれば、それらは非常に思わぬ状況の内に、退転し、消失してしまうが故に。
(21-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《vipassanaハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)