<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ここにおいて、我々は以前に言及した様に、仏陀は、五取蘊または六処に対して法随観法せよ、と説いたが、その観照の所縁は、色法と名法の二種類の他ならない。
それらは vipassanā行 の二種類の分類型である。
こうしたことから、もし、究極諦に基づいて、六種類の内・外処を分析するならば、実際には、五取蘊と同じく、色法と名法に属するものである。
比丘が、生起する可能性のある結を了知することに関して、ある一つの内処が相応する外処に遇う時、比丘は、煩悩がどの様な所縁への不如理作意が、それを生起させているかを了知し、どの様にして、止観などの如理作意の方法によって、それらの生起を、停止させることができるかを、了知する。
あれらの煩悩は、如何にして、未来において、道・果を証悟する時に、永遠に再生することがないのかを、了知する。
同様に、これもまた(=上述の了知もまた)三種類の遍知でもって、五取蘊の生起と滅没を観照するものである。
また比丘は、この種の観照を通して、四聖諦を如実に知見するのである。
(3-43につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>