以前、私はブログに
<「怒ってはならない」という風な、したり顔で怒りについて書かれた本は、読まない>
<特に僧侶の書いたもので、仏教徒なら怒らないのが当然、という前提で書かれた、良い子向け道徳本は、自分の参考にならないので読まない>と書いた事あります。
今も、その類の本は読まないのですが、最近、自分の怒りが、少し見える様になってきました。
先日、日ごろ私が親切にして上げている(と思っていた)女性に、ちょっとつれなくされて、少しばかり立腹したのですが、しかし、瞑想して、入定する中で、落ち着いて己自身の言動を振り返ってみると、彼女にとっては、私の親切は《小さな親切、大きなお世話》な訳でして、「彼女が私に、恩義を感じる必要はないのだなぁ」と、よくよく分かりました。
人と人との、ちょっとした心の行き違いは、勘違い、過剰な期待などなどから、発生する事が多いです。
冷静に、己自身の心の動きへの気づきを忘れず、心をニュートラルにして、何があっても軽やかに対応する様にする。
他人と、多少の行き違いがあっても、笑っていられる自分がいたら、それはそれで爽快です。
私にとって、怒らない心の処方箋とは、己の心の動き(起心動念)への観察と、瞑想による状況への俯瞰と反省(貪欲や渇愛の瞬間の心をつまんで捨てる)、そんな所が有効な様です。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>