南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

般若の独り言~人は四時間坐れるか?

本日、ブログの読者様より、「本雅難陀尊者は、四時間坐りなさい、と言うけれども、禅宗なら40分。なぜそれほど長く座らなければならないのか?」というコメントを頂きました。

彼にはコメント欄を利用し、基本的なお答えをしましたが(<安般念修持法‐9>コメント欄参照の事)

ここで再度、説明します。

四時間坐れ、というのは、あなたに nimitta(=鼻の前に出現する光=禅相)が出来て後の、初禅に成功した、あなたへの要求です。

安般念を修習しているが、nimitta が出ない禅修行者の

定は、遍作定といい、初禅はおろか、近行定でも、安止定でもありません。

初心者の座禅・瞑想は、足が痛くなったら、息を見ながら(=息から気持ちを外さず)、足をそっと替えるのはOKです。やせ我慢して、足を替えないでいるのが、偉い訳ではありません。仏陀の瞑想は、体育会系でも、我慢大会でもありません。

次に、安止定から説明します。

あなたに nimitta  が出来て、それを一時間程、保持できる様になったら、心を nimitta に投入する練習をします。

心を nimitta に投入したまま、一時間、二時間と、その状態を、保持しつづけられたなら、<安止定成立>となります(ここでは、初禅が成立しそうでありながら、しかし、いまだ成立していない定を<安止定>と、仮に定義します)。

このレベルから、心臓にある、意門の五禅支を確認する事ができた禅修行者は、「初禅成立」と評定されます。

安止定でも、身体(足)の痛みを感じなくなりますが、初禅を確立した禅修行者は、身体(足)の痛みは、ほぼ感じなくなります。

もし、初禅成立後、一時間で足の痛みを感じて、出定したなら、その禅修行者は「一時間の初禅成立」という評定になります。二時間で出定したら、「二時間の初禅成立」という評定になります。

基本的に、足を替えるか、替えないかに、拘る必要はありません。禅定(初禅~四禅)が出来る様になったら、ごく自然に足を替える必要性を感じなくなる、だけです(遍作定、近行定、安止定のレベルでは、足を替えたくなったら、そっと替える)。

初禅(~四禅)に入れる様になったら、身体(足)は、痛くならない。痛みを感じた時は、禅定が切れた時。その様にご理解下さい。

尚、目を開けても nimitta が消えなくなったら、歩く時も、食事中も、心を nimitta に投入し続けます。

すなわち、眠る時以外、入定したまま歩き、食べ、厠に行き、入浴もする訳です(<今、ここ>において、素粒子の無常・苦・無我を照見するには、一日中、定に入る必要があります)。

 仏陀の瞑想は《足を替えないで、どれだけ座っていられるか》を、競うゲームではありません。

修行者の心が、どれほど清らかで、どれだけ nimitta を保持して、入定していられるかを問う修行です(nimitta とは、心が清らかな人の、意門と鼻先に出現する光浄なる光。)

 尊者は又、「30分しか座れない人は、30分座った後、下座して、行禅をしなさい。座禅・瞑想は歯を食いしばってするものではない。」とも述べています。

尊者の「四時間座りなさい」は、初禅に入れる様、心を清らかにしなさい、という意味です。

足を替えたければ、替えて下さい。

自分は四時間座れるだろうか?と心配する必要はありません。それよりも先に、nimitta の出現する、清らかな心を育てて下さい(たまに、パオ・メソッドを一通り終了したものの、心が清らかでない者がいます。nimitta が出るから、即、心が清らか、とは限りませんので、ご注意下さい。)

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>