南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『禅修指南』(2-13)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(5/520)

Taṁ tasseva paññāyati:

「行者の慧のみが、それ(光明)を(見ることができる)。」

この種の光明は、唯一、行者の智慧によってのみ、見ることができ、その他の人々は、見ることができない。

例えば、我々は、肉眼でX線を、見ることができるであろうか?

否、見る事はできない。

(+しかし)我々は、X線を、肉眼で見ることができない事を理由に、X線は存在しない、と言えるであろうか?

否、我々はその様には、言えない。

というのも、我々は X線を写すことが出来るが故に。

Tena phuṭṭhokāse rūpagatampi passati.

「この色(光)が、到達して、接触する所の空間は、彼はすべて、見ることができる。」

光が外に向かって拡散する時、それが到達する場所において、人々は、各種の目標を、見ることができる。

彼は、何でもって、これらの目標を、見るのであるか?

Passanto ca cakkhuviññāṇena passati、udāhu manoviññāṇenāti vīmaṁsitabbanti vadanti:

「彼らは言う、(行者が)見る時、彼は、自分が一体、眼識でもって見ているのか、それとも、意識でもって、見ているのかを、観察しなければならない。」

観智によって生じた光によって、外部の諸々の目標を見たり、また分析したりすることができる。

止禅心の光明はもまた、外部の目標を識別するのに用いる事ができるが、しかし、それは、天眼通ほどには、正確ではない。

故に、(+修行者が)外部にある目標を見る時、それは一体、眼識でみているのか、それとも意識で見ているのか?(+が問われなければ ならない)。

(2-14につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>