Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

《Vipassanāハンドブック》18-3(F)★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

種と樹木の関係は、「作意」(manasikāra)が、

善悪の意識を生じせしめるのと、同じである;

泥土と樹木の関係は、六根が善悪の意識を生じせしめるのと、同じである;

雨水と樹木の関係は、所縁境が善悪の意識を生じせしめるのと、同じである。

今、我々は別の方法で、「因」の説明をする。

六種類の意識の中の、その一つひとつの意識には、それが生起するための、四個の因がある。

眼識の生起は、眼根、色塵ーーすなわち、所縁境、光明(āloka)と、作意という、この四つを必要としている。

この四つの内で、作意は、転向の心であり、心をして、所縁境に向かわせる過程である。

ālokaは、光である。

光がなければ、目は外に在る物を見ることができないし、認知の過程も生まれない。

cakkhu-vatthu は眼根を言い:

pa-arammaṇa は視覚の対象を言い;

字面からの意味は、色塵であり、すなわち、所縁境である。

耳識が生起するためには、耳根が必要であり;

声塵ーーすなわち、声(音)が所縁境であり;

虚空(ākāsa)と作意という、この四つが生起の因である。

ここにおいて、ākāsa とは虚空を指し、声(音)が空間を伝わって耳に届く事を言う。

それが存在する時にのみ、聞くという機能が生起する。

そうでなければ、耳は音を聞く事が出来ず、認知の過程も生まれない。

(18-4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<《Vipassanāハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)

Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>