南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(C- 2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

ある種のインテリは、仏教を古代インドの文化・環境の産物だと見做すか、または、インド宗教の一種だと見做している。

実際は、仏教はこの様なものではなく、仏教とは、神聖な真理なのである。

仏教とは、正覚の智慧を得る、道筋の事である。

仏陀が、世間的な煩悩と困苦(+の原因)を証悟したのは、知識から、または理性による過程からではなく、心智の発展と浄化によって、齎されたものである。

知識性を立脚点にしている為に、人々に、科学的な態度を連想させるが故に、その結果、仏陀は、有史以来、唯一無二の宗教的導師となった。

当然、仏法の曙光がインドに出現したのは、智慧の探索と、倫理によって建設された社会的背景という、その様な条件が、伴っていた為である。

数百年来の宗教と哲学の発展が、インド本土の豊かな土壌を育んだ。

この肥沃な条件があって初めて、仏法の種は、芽を出す事ができた。

同時代のギリシャ、中国、エジプト及びバビロンは、豊かな思想の宝蔵ではあったが、当時のインドとは比べるべくもないものであった。

思想啓蒙の種は、まるで翼が生えたかの様に、世界の各地から、数えきれないほどの遥か彼方の時空から、一斉にインドの東北部に飛んできた;

この独特・特殊な種は、仏陀の身体の上において、完全な発育と成長を得ることとなった。

仏陀は覚醒を通して、正覚の体験を得た。

彼は教条を排し、また神秘主義を排して、信徒の信頼を得た。

彼は一種、有効的な、誰もが実証することのできる経験に基づいて、仏法を宣揚した。

彼は最も正しい語彙でもって、仏法に対して、堅実で嘘偽りのない定義を下した、すなわち;

神聖なる真理(聖諦)である。

我々は、仏陀が、学術的な理論でもって我々を指導するのではなく、彼の覚醒、彼の真理への納得及び、彼が実証した所の、真理の成就の上に立って、我々を指導しているのだ、という事を理解しなければならない。

(C- 3につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

<原題『仏教徒信仰的是什麼』中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>