<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
すべての大衆(=有情)を、同時に対象として取る。
同時に、彼ら(彼女ら)の意門に入り、直接彼らの過去世において、彼らの「五蘊法」「12処」「18界」を確認し、その後に、現在に戻り、その後に、彼らの未来世を確認する。
過去、現在、未来を調べるのは、「縁摂受智」である。これは縁起法に属する内容である。
己自身と衆生とが、なぜ男性であるのか、なぜ女性であるのか;
なぜ出家したのか、なぜ出家しないのか;
なぜリトリートに来たのか、なぜリトリートに参加したくないのか;
なぜある種の人々は福徳の報が大きく、なぜある種の人々は、貧困なのか;
なぜある種の人々は、一人静かに暮らすのが好きで、なぜある種の人々は、にぎやかなのが好きなのか;
これらは皆、過去世と関係がある。
この一世の五取蘊は、すなわち「苦聖諦」と「苦集聖諦」である。
この一世で、出家するのを好む、または出家したがらないか、というのも、第一番目の過去世の「臨終速行行業」と「無明愛取」が原因である。というのも、「煩悩輪転」と「業輪転」によって、この一世で、人間になったり、出家したりするのからである。
この一世の「煩悩輪転」と「業輪転」は、いまだ果報が残っているならば、継続して輪廻しなければならず、それは未来世にも続くのである。
我々は、過去世では、また別の人間であった。異なる親戚、友達を持っていた。この一世での、親戚友人はまた別の人たちだ。
未来には、また引き続き別の人になって、今とは異なる親戚、友人、兄弟姉妹と付き合う。
五取蘊がある限り、我々はずっと己自身に執着し、私は、私は、と止まる事をしらない。
実際は、これらは意義のない、退屈な名色法の生・滅、無常・苦・無我に過ぎない。
以上は、己自身についての説明である。
(41につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>