翻訳『禅修指南』6‐9
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《色法の本質》
この28(+種類の)色は、単独では存在する事ができない。ただ、色聚として構成された形態でのみ出現する。
すなわちそれは、最も小さい色法の構成・構造であって、その名はまた「密集」(ghana)とも言う。
同一の粒の色聚の中の諸色は:
同時に生起し(ekuppāda)、
同時に滅し(ekanirodha)、
同一の処に依存する(ekanissaya)。
同じ一粒の、色聚の中の四大は、相互に依存し合い、所造色(upādā rūpa)は、同じ一粒の、色聚の中の四大に依存して存在する。
四大と所造色は、みな、その他の一粒の色聚の中の四大に依存する事はない。
究極色、四大がどの様にして相互に依存するのか、及び所造色が、どの様にして、四大に依存しているのかを、如実に知見する為には、(+修行者は)先に、色聚が見えなければならない。
修行者が、色聚を見ることが出来たならば、その後において、彼は、一種類毎の色聚の中の、究極色法は、8個、または 9個、または 10個、またはもっと多くあるのを、見ることができる。
その後、彼は、一種類毎の色法の自性相と本質を、智慧でもって、識別する事ができる様になる。
唯一、この様にして初めて、彼は、究極色法を理解する事ができる。
色聚を識別する所の、この方法の名は「界分別」と言う。
《中部・根本50經篇・大牧牛者經》において、仏陀は以下の様に言う:
「比丘たちよ。
11支を具足する比丘は、この教法の中で成長し、向上し、または成就する事は出来ない。」
この11支の中の一支について、仏陀は以下の様に言う:
「比丘たちよ。
色を知らない比丘とは何か?」
この点に関して、仏陀は更に一歩進んで解説する:
「比丘たちよ。
どの様な色であろうとも、すべての色は、皆、四大及び、四大に依存して造られる所の色である事を、如実に知らない比丘の事を、言うのである。比丘たちよ。
この様な比丘は、色を知らない(+比丘である)と言うのである。」(注22)
注22:『漢訳南伝大蔵經』「中部経典」一。
(6‐10につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>