般若の独り言~老後に2000万円
先日ニュースで、無職(専業主婦)の妻(60歳)と、退職した夫(65歳)が、95歳まで生きるとして、政府から給付されれる年金だけでは足りないので、それとは別に、2000万円の老後資金を用意した方がよいという、今後の経済動向的な調査内容が金融庁より発表され、炎上しています。
これは、典型的な夫婦が、都会で、質を落とさずに、典型的な、または理想的な生活を送る場合の、ひとつのモデルを示したものの様です。
私は、老後の生き方が、2000万円、余分に貯金しておくべきかどうかに焦点をあてて議論される事に、なんだか滑稽な様な、恥ずかしい様な、一抹の寂しさを感じました
(注1)。
それは、今はもう瓦解して存在しないと聞いていましたが、少し前のWEBニュースで、《新しき村》の理念のままに、今も何家族かが、その様に生活している、との事でした。
《新しき村》では、長時間労働を戒めています。人間、一日 8時間どころか、6時間働けば充分、残りの時間は思索や、芸術活動に使いませんか?というのです。(思索や芸術活動を、座禅・瞑想に置きかえれば、僧侶の修行生活になります。)
私たちは、何の為に生まれたのか・・・年老いて振り返ってみた時、本当に成したかったことを成し遂げて、満足して死ぬ事が出来るでしょうか?
2000万円、あったら幸せなのでしょうか?
なかったら、不幸でしょうか?
お金(金額)で、自己規定するなんて、ちょっぴり心が、寂しくなりました。(もちろん、何をするにも、どこへ行くのも、先立つものはお金であるという現実は認めた上で。ただ、我々の意識も変わりつつあるとも思います。
自動車の自動運転を初めとして、世界がAI化し、ベーシック・インカムが実現した時、手持無沙汰になった我々は、何をすれば幸せか、何をしないのが幸せか、もう一度、心の底から、問われる事になりそうです。)
注1:タイやミャンマーですと、男女とも、老後は、どこのお寺で出家(在家のままお寺に住む場合も含めて)するかが、大きな関心事です。私の知人でバンコク在住の夫妻は、夫が最高裁判所長官、妻が証券取引所頭取でしたが、退職後、家は息子夫婦に明け渡し、今では、共にお寺の境内に住んでいます。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>