<無価>・・・これは<ムカ>と読むのでしょうが、
<価値が無い><無価値>という意味では、ないです。
世の中の物・事には、値段のつけられらない程貴重なものがある=<無価格>という意味です。
この世で最も<無価>なものは何か?
仏法だと、私は思います。
中国語で出版されるほとんどの仏教書(台湾、マレーシア、シンガポール等の漢民族・華人在住の諸国で出版される)の奥付には、<仏法無価><売買禁止><(書店)流通禁止>と書かれています。
何故か?
それは、ゴータマ仏陀が何を悟り、何を教え伝えて般涅槃したのか、を考察すれば分かります。
ゴータマ仏陀は、三(四)法印、四聖諦、すなわち、色(身体、物質)は素粒子でできていて、刹那に生・滅するが故に、五蘊(身体と、それに影響されて、成立する精神活動、または相互に影響されて成立する身・心)に、ほぼ存在価値がない、という事を教えたのだと、私は理解しています。
仏にしか教えられない、世にも貴重な教え・・・それは、売買するのが憚れるほどの価値を有しているが故に
<無価>という。世の中には、何千万円、何億円という値段がつくダイヤモンドがありますが、それとは別格、全くもって、時限が違うのですね。
世の中には、まだまだ<無価>なものはあります。
森や山は、いざ、持ち主が売ろうとすれば、二束三文ではあるけれど、森や山の保水力で、周辺の都市の安全が保たれていると思えば、実は、森や山も<無価>的な存在である事が分かるでしょう。
<無価>なる存在に、目を向けない人々の心は、寂しい、わびしいに違いないと、私は思うのです・・・星の王子様も「大切な事は目には見えない」と言ってましたものね。
追記:20年前、「智慧の光」を翻訳するにあたって、
パオ・セヤドーに御著書の著作権について質問しました所、「仏法に著作権はない」とおっしゃっていました
[アチャン・チャーの遺産を管理するアチャン・チャー財団の出版物の、ある一部分のものに、著作権のついているものがあります]。
私の記憶では、私が所蔵する中国語の仏教書で、お金を出して購入したのは「阿含正見」一冊のみです。
著者の釈従信師は、台湾の僧侶ですが、大乗を批判して、お寺を出ていて組織に所属しない為に、致し方なく書店に頼ったのだと、思います(私が、彼の仏教書の愛読者であると知れた後は、彼は台湾から日本の私の自宅に、著書を次から次へと、送付して下さいました。勿論、無料でした。)
「法施」といいまして、仏教書は基本、出版を希望する人または人々が、資金を提供して出版し、有縁の方々に、無料でお布施する形が基本でなければなりません。
仏法は<無価>が故に、値段をつけて売買する事ができないのです。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>