<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
9.3《覚支善巧經》(または《火經》)
安止の善巧に関して解説する時、「比丘たちよ、心が軟弱で無力の時、それは覚支を強化する時ではない・・・」の経文に関連して、覚支の善巧(=覚支の善くて巧みな様子)については、すでに説明した。
この經の簡単な含意とは:
心が軟弱で無力な時、それは軽安覚支、定覚支と捨覚支を強化する時ではなく、それは、択法覚支、精進覚支、喜覚支を強化する時である。
心が激動する時、または浮つく時、択法覚支、精進覚支、喜覚支を強化する時ではなく、軽安覚支、定覚支、捨覚支を強化する時である。
みなは、《増上心經》、《無上清凉經》及び《覚支善巧經》の原文を、各自参考にされたい。
四界に基づいて引き続き定力を育成して、近行定に向かう時、異なる種類の光が見える様になる。
ある種の禅修行者にとって、その始まりの段階では、光は煙の様に見える。
もし、灰色の光の四界を識別する事を続けるならば、それは白い綿花の様になり、その後に、白く輝く雲の様になる。
この時、全身は、一塊の白い色の物質に変化する。
引き続き、白色の物質の中の四界を識別するならば、それは、氷の塊か、またはガラスの様に、透明で輝く様になる。
この明浄(=清らかで光っている)な色法は五根であり、また「浄色」(pasāda rūpa)とも言う。その中の身浄色(kāya pasāda)は全身に分布している。この段階においてみることができる身浄色、眼浄色、耳浄色、鼻浄色及び舌浄色は、塊の状態である、というのも、三種類の「密集」がいまだ看破されていなが故に。
もし、引き続き、透明体の中の四界を識別しつづけるならば、それは、発光して、光芒を放つ。もし、この光が少なくとも半時間出現するならば、その後、あなたが透明体の中の空界(小さな空間)を識別するならば、当該の透明体は、粉々に砕けて多くの、名を「色聚」(rūpa kalāpa)と言う極微な粒子になる。
名を「心清浄」(citta visuddhi)と呼ばれる段階まで来たなら、その後には、色聚を分別して、「見清浄」(diṭṭhi visuddhi)を育成することができる。
しかしながら、もし、あなたの定力の光がいまだ、その強さが足りない時で、その他の止禅を修習したいと思う時、その場合は、あなたが色聚を見る前に、止禅の修習に転換するのがよい。
この時、あなたは32身分を修習し、その後に、その中の一個の身分を選んで、その不浄を観じて、初禅を証得するまで、定力を育成するか、または、その中の一個の身分の色彩を選んで、第四禅を証得するまで、色遍禅(kasiṇa)を修習してもよい。その後は、慈心観、仏随念、不浄観及び死随念の四種類の護衛禅に転換して、修習する。
もし、禅修行者が純観行者(suddha vipassanā yānika)である場合、彼は、透明体を見ることができるまで、かつ、その近行定に光が極めて明るくなるまで、四界のそれぞれの性質を識別し、その後に諸々の色聚を識別できる様になるまで修習しなければならない。
(6-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>