昨夜、久々に、大阪の姉と、電話で雑談しました。
私 「コロナでどこにも行けず、
暇なので、仏教書の翻訳を再開しました」
姉 「それって、無料のご奉仕なの?
あなたは仏教を信仰しているから、できるのよね」
私 「(・・・いえいえ、信仰ではないです)。
仏教は何か(神・仏の加護)を信じるのではなくて、世界は素粒子で出来ていて、モノ・コトの本質は、無常・苦・無我なので、意識の対象に執着する価値がない、執着しても意味がない、という事を瞑想を通して、自分で確認するのです。やみくもに何かを信じるわけではありません」
姉 「う~~ん、難しすぎて分からない。
あなたには信仰があるから・・・」
私 「いやいや、信仰ではないです~笑」
まぁ、どこまで行っても切りがないですし、私から姉への<言葉狩り>になってしまってはいけませんので、ここら辺で電話を切りました。
ゴータマ仏陀が、悟りを開いて最初に、通りがかりの人に、自分の悟りの内容を説明をした所、相手は、頭を振り振り去って行ってしまったそうで、いつの時代も、
[世界は素粒子で出来ていて、それが刹那に生・滅しているので、モノとコトに執着する事に意味がない]
という説明を受け入れる事の出来る人は少なく、世間的には、アビダンマ好きな私は、極々少数派になるのだなぁ、と思った次第(自称、アビダンマ・オタク~笑)。
上の写真は、今朝のオハナ。
ドッグランに連れて行って、芝生の上で遊んでいる写真をUPしたかったのですが、連日の雨で、とりあえず《おふとんの中でヌクヌクのオハナ》をUPします。
向かって右目が、怪我をした方。
目薬と、自己治癒力のおかげか、相当治ってきています(オハナは、目薬を差すのを嫌がりますから、頭をナデナデしながら、遊ぶ振りをして、オハナが油断した隙に、シュッと差します。二回に一回くらいしか命中しませんが、少しづつでも治っている様で、ホッとしました)。