例えば、木と根を共に抜き去った時の様に、その木に再生を願っても、実現出来ないのと同じである。これはロジック学の一種であって、大から小へ戻れないのは、人々への励ましであり、方便でもある。もし、菩薩道を修したいのであるならば、(その願を掛けた修行者は)行捨智に到達したなら、あなたの願は、自然当然に、ソータパナや阿羅漢道を証することはさせないものである。スメダは、己の大悲心に促されて、衆生を済度するために、阿羅漢道を成就出来る可能性を放棄し、菩薩道へと進んだのである。これを、大悲心と言う。文責:Pannyaーadhika Sayalay(緬甸Paouk森林僧院ヤンゴン分院所属/般若精舎)