翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(9ー11)(私家版)
邪見は、間違った認識・認知において生じる。即ち、真実の相に基づいて諸法を分析し得ていない、という事である。 真実の相とは何であるか? 一切の有為法は皆無常、苦、無我である。 邪見とは、それを常、楽、我、浄であると間違って認識・認知する事である。。。 我慢(我ありという高慢心)は、自我(五蘊)への自己評価から生じる……… 即ち、己は他人より優れていると思う事。 または、己は他人より劣っていると思う事。。。 または、己は他人と同等であると思う事。 邪見は必ずや、四種類の、邪見と相応する所の貪根心の中において存在する。。。 しかし、邪見と相応しない場合で、我慢が生起しない場合もある。。。 というのも、因と縁において、上に述べた三種類の状況の内の一つが具足して初めて我慢に心が生起するが故に。。。 こうした事から、慢の心は、たまたまに生起するのである、と言うのである。