2.有分は意門と(も)呼ぶ:有分は、前の5門とは異なる。意門(manodvāra)は色法ではなく、名法(nāma)である。即ち、有分心で(も)ある。意門心路過程における目標に関しては、当該の心路過程の中の諸々の心は、意門を通してのみ、それを縁として取る。それは、他の何らかの浄色に依存することは、全くもってあり得ない。
2.有分は意門と(も)呼ぶ:有分は、前の5門とは異なる。意門(manodvāra)は色法ではなく、名法(nāma)である。即ち、有分心で(も)ある。意門心路過程における目標に関しては、当該の心路過程の中の諸々の心は、意門を通してのみ、それを縁として取る。それは、他の何らかの浄色に依存することは、全くもってあり得ない。