Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

南直哉の〈命の種〉批判 

今朝のWEBニュースに南直哉氏が一文を寄せていました(南直哉の〈命の種〉)。   それなりに長文なので詳細は割愛して、以下、本質的な部分に疑問を呈します。。。   彼は「我々が生まれて来るのに、理由もないし、目的もないし、意味も分からない(まま生まれてくる。であるから親は無条件に子を愛さなければならない云々)」。。               う〜ん。南氏は禅宗の僧侶ですよね。。。      ゴータマ仏陀の教えた、因果法則、縁起の法則、習わないのでしようか???               勿論、我々、オギャー!と泣きながら生まれてきた瞬間の、まだ目も見えない赤子の時から、自分が生まれて来た理由を知っている人などいないでしようけれど、自分が他の動物ではなく、人間の身体をまとって生まれて来たのには、原因があります。。。。                 無明から始まる、12縁起を学べはわかります。。。                そして、サマタ・vipassanā と呼ばれる禅定と観察の修行をすれば、自分が人間として、地球上に生まれてきた理由と意味が、明確に、確認できます。。。                上記の修行をしない人でも、カンが鋭い人は【自分は○○の為に生まれてきたのだな】と(薄々)人生の因果関係が分かる場合もあります。。。。。。。。                ゴータマ仏陀は             《我々の財産は【業(心の癖・偏向)】(のみ)である。長い輪廻の旅の中において、【業】のみが、あなたに付き従う財産である》                    と、述べています。。。           (人間に)生まれてくる原因は、己自身が持つ【業】に起因するのであって、無因で生まれてくるのではないのです。。。             《無因説は邪見》であると、ゴータマ仏陀は明言していす(仏陀の『六師外道』無因無縁論批判)。。。                【業】が原因であるのを知って、己の不善心を減らし、善心を育てる努力すれば、背負った不幸を、幸福に転換する事が出来る(少なくとも、己の不幸を他人のせいにして、他人を呪うのは、やめることはできる。)                  無因説を取れば、南氏が言う様に、ただただ〘他人が己に憐憫してくれる〙のを待たねばならない。。。。。。。。。。                     ヤレヤレ。               追加1:業説を取れば、往々にして、自己責任説が強化されますが、仏教は極論は取らない。人々の社会的不幸は、社会が支え合うことによって、緩和される。人には、お互いを支え合う慈悲心と、業説に立った覚悟(智慧)の、両方が必要なのではないでしょうか???                何事も業なら、戦争で殺されても仕方がないのか?と問えば、仏教は【不殺生】【非暴力】が答えです。悪業の輪転、悲しみの連鎖はいらない。。。。                追加2:著書も多数あり、日本禅宗の代表的論客でもある南氏が、六師外道の無因無縁論を堂々と主張する。日本大乗仏教、大丈夫?