こうい事であるから、修行は生活の中から始めるべきである。もし、煩悩・習気が非常に重いのであれば、禅の修行では座るや否や瞋恚の心が立ち上がり、修行は成功しない。もし、日頃から常に善念でもって一切に対応するならば、生活の中において、心は柔軟になり、禅の修行も実践し易くなる。故に、ただ禅の修行の時にだけ煩悩を何とかしようとするのではなく、普段の生活の中において、細心の注意を払わなければならない。もし、善念でもって一切の現象、物事に対応する事ができるならば、実は、社会全体的に利益をもたらしているのである。世界の平和は個人から始まる。もし個々人が、持戒清浄であり、不殺生、不偸盗、不邪淫、不飲酒、不妄語であれば、実は充分に、社会全体の平和に貢献しているのである。