翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(59ー4)(私家版)
果報の生じる能力に応じて、善業は、ニ種に分ける事ができる: 殊勝なものと低劣なもの、のニ種である。。 殊勝な善業は、清浄な無染の心によってなされるものである。その上、業をなす前もその後も、共に良好な動機を持つ。例えば布施は、如法に得た財物を徳のある人物に供養するもので、又、供養の前もその後も、喜びに満ちたものでなければならない。。。 善業をなす前と後において、もし、心が煩悩によって汚染されているならば、例えば自画自賛、他人を貶める、善を行った後に後悔する等であれば、当該の善業は低劣に属する。。。 一念の差でもって、あなたの善業が殊勝なものであるか、低劣なものであるかが決定される。。。 故に、心は非常に重要である。。。 布施や、善業をなす前の動機も又重要である。もし、布施が純粋に、それを受け取った人の健康、幸福を願い、心中に良くない動機がないならば、これは殊勝な善業である。もし、良くない動機であったり、布施した品物が如法に得たものでないならぱ、又は、己には良い物を残し、布施に出したものが粗悪品であるならば、これらは皆低劣な善業となる。