Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(62ー8/9)(私家版)

結生識の役割は、ちょうど一基の橋梁の様である。それは過去世と新しい一世を結び付ける。。。。。               ただし、何か一つの霊魂が存在して、過去世からこの一世に漂って来る訳ではない。この様な意見は常見と言う。。。       しかしまた、この結生識は過去世と全く関係がない、とも言えない。一切関係がないと言う様な意見は断見と言う。常見と断見の両極端を避けること。。。          仏陀は言う:「無明の縁により行があり、行の縁により識があり、識の縁により名色がある。」              無明の縁により行あり、とは何であるか?所謂無明とは、四聖諦を知らないことを言う。例えば、ある人が、未来世において人間として生まれたいと願う時、その人は、人間という生き物が実在しているのだ、と思っている(究極法で言えば、人も又生滅の法である)。これが無明である。無明であるが故に、業を造る。彼は持戒するが、(その結果)業を造るのである。故に、無明の縁により行あり、というのである。業、ひとたび造られたならば、必ず業力が残る。業力は、ひとたび因と縁が熟したならば、果報を生じる、即ち結生識を生じる。故に、無明の縁により行あり、行の縁により識ありといい、識とは即ちこの結生識の事である。