✥涅槃✥ 4番目の究極法は「涅槃」(nibbāna)である。パーリ語では「nibbāna」。サンスクリット語では「nirvana」。「nirvana」は、二つの部分から成り立っている。「nir」は、離れる、「vana」は、貪愛。故に、「nibbāna」は、貪愛を去ること。貪愛は、一切の苦痛、輪廻の根本であるが故に。涅槃とは、苦の止息。故に、涅槃の意味は、貪愛を去ること。。。 涅槃は、無為界のも言う。というのも、因・縁によって生じる法ではないが故に。涅槃は又、滅諦とも言う。四聖諦の中の三番目の聖諦であり、出世間法てあり、名色又は5取蘊を超越しているが故に。又、貪、瞋と痴の息滅でもある。有為法の苦痛から解脱脱出する所の、最後の境地である。有為法は、因縁和合の法であり、例えば、名色、五取蘊などである。涅槃は、名色、五取蘊の苦痛の中から解脱する所の、1種の境地である。それは無為法であり、如何なる因にも依存せずに生起し、生・滅の支配を受けない。故に、涅槃は常である、と言う。生・滅の圧迫を受けない為、楽であり、無我である。主宰者は存在しない。涅槃は、四道と四果の所縁である。。 二種の涅槃がある。一つは有余涅槃て、もう一つは、無余涅槃である。有余涅槃とは、阿羅漢を例に取ると、彼の煩悩は既に断じ尽くされているが、五蘊はまだ存在している。この状態を有余涅槃と呼ぶ。無余涅槃は、彼の煩悩は既に断じ尽くされており、かつ、五蘊も又当時に消失している。我々の仏陀は、無余涅槃に入られた。ある種の人々は、仏陀は、又化生して再来する事ができると言うが、それは不可能である。もし、仏陀が、化生して再来出来るならば、弥勒菩薩は、出現する必要がない。というのも、(この世界は)一尊で、足りるからである。