Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(79ー1)(私家版)

■色界地                 色界地の衆生は、結生起識の最初の段階では、ただ眼10法聚、耳10法聚、心所依処10法聚と、命根9法聚のみ生起する。あなたは、梵天神には身体はないのですか?と質問するかも知れない。。。。            例えば、梵天Sahampati が、降りてきて仏陀に法輪を回す様にお願いした時に、仏陀の説法を聞いたが、この時確かに身体はあった。では、なぜ、身10法聚がない、と言うのか?                梵天神は、身体はあるものの、身浄色はない。身浄色は触に敏感で、それは地、火、風を含むのであるが、梵天神は身浄色がないが故に、痛みを感じる事がない。。    梵天神は又、舌浄色もない。故に食べ物を食さず、禅の悦楽を食とする。。        彼らは鼻浄化色もない。彼らの耳は、仏法を聞くためにある。我々も、耳を賢く使わなければならない。聞く所によると、梵天神の目は、聖者を見るためにある。。    故に、仏陀がご在世の時、彼らは下に降りてきて、仏陀の32身相を賛嘆したのである。。。16色界地は、合計四個ある。初禅、二禅、三禅、四禅である。四禅は、合計7層あり、その内の二番目の層の、無想有情天梵天神は、身体しかなく、心はない。それはバナナの木か、金の像の様である。この種の衆生の結生識は、色法、命根9法聚しかない。業は、各種の異なる種類の衆生をつくり出す。衆生は業にそって流転する。無想有情天梵天神は、心があると苦痛であると思い、故に、彼らはただ命根9法聚の色法をのみ生起させるのである。■無色界地無視色界地の衆生は、色法がない。無色の為、色法はなく、故に色法の転起もない。