Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#35-27

問4-10:セヤドーに、科学的な手法でもって、禅修行中に体験する光について、説明して頂けませんか?

答4-10禅の修行中に見る光とは、何であるか?

結生心を除いて、一つひとつ、心処(hadayavatthu)に依存して生起する所の心(citta)は、みな、心生色法:心生食素八法聚(cittaja ojaṭṭhamaka-kalāpa)<注258>。

一個の心識は、多くの心生色聚を生む。

心処に依存して生起する所の、心識、止禅心(samathabhāvanā-citta)と観禅心(vipassanābhāvana-citta)は、非常に強くて力があるものであり、これらは多くの色聚を生じせしめることができる。

我々が、じれらの色聚を分析する時、八種類の色法を見ることができるが、それらは:地界、水界、火界、風界、色彩、匂い、味と食素(栄養素)である。

その中の色彩という、この色法は、非常に明瞭(明亮)である。止禅心と観禅心が強ければ強いほど、色彩はますます明るくなる。

色聚は同時に、また相続して(継続して)生起するため、一粒の色聚の色彩は、緊密にまとまって生じる。それはまさに、電燈の様であり、こうして光が生まれるのである。

次に、止禅心と観禅心によって生じた、一粒一粒の色聚もまた、火界が含まれる。この火界は、また多くの新しい色聚を生じせしめるが、それを時節生色という。というのも、それらは、時節(utu)と呼ばれry火界から生じるが故に。

この現象は、体外でも発生するし、体内でも発生する。

我々がこれらの色聚を分析する時、同じく、八種類の色法を見ることができる:地界、水界、火界、風界、色彩、匂い、味と食素(栄養素)。

色彩は(上に述べたのと)同じ様に、その中の一種類である。

止禅心と観禅心の力によって、その色彩もまた非常に明るいものである。

故に、一個の色彩の明亮さと、もう一つ別の、一個の明瞭さが緊密に同時に生じる時、電燈の様に光るのである。

心生色法の光明と時節生色法の光明は、同時に生じる。

心生の「色彩」色法は、唯一、体内においてのみ、生じるが、しかし、時節生の「色彩」色法は体内と体外において生じることができ、かつ、各方面、世界系全体または輪囲世界(cakkavāḷa)に、更に遠くにも、拡散することもできる。これの程度は、止禅心と観禅心の強度によって決定される。

仏陀の名色限定智によって生じた光明は、一万個の輪囲世界を遍満することができたし、アヌルッダ(Anuruddha)尊者の天眼心(dibbacakkhucitta)によって生じる光明は、一千個の輪囲世界を遍満することができた。

その他の弟子の観智によって生じる光明は、彼らの止禅心と観禅心の強度に基づいて、各方面に向かって、一由旬(yojana)、二由旬などと異なっている。

多くの禅修行者は、生滅智の修行に到達すると、通常、この種の光は、一組の色聚であることを理解することができる様になる。しかし、止禅を修習している時、彼らは、なお、それが一組の色聚であることを理解することができない、というのも、これらの色聚は非常に微細であるが故に。

止禅の修習をするだけでは、色聚を理解したり、照見したりするのは難しい。もし、あなたがそれを確実に理解したいと望むならば、生滅智まで、修行に励まなければならない。

禅の修行中に体験する光に対する理解について、上に述べた事が、最も科学的(な方法)である。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>