南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#35-28

問4-11:すでに32身分を識別できる様になった禅修行者は、目を開けたまま、他人の身体内部の32個の部分(身分)を見ることができますか?

答4-11:状況によっては、可能である。

初心者は、目を開けている場合に見えるのは、外部に見える身体(身分)だけである。

彼は、観智の眼でもってようやく、内在の身体を見ることができる。

もし、あなたが、これらの事柄を科学的に理解したいというのであれば、己自身の観智でもって、見る様にチャレンジする事を勧める。

しかしながら、マハーティッサ大長老(Mahātissa Mahāthera)は、彼の以前の修習によって、彼は目を開けて他人の骨格を見ることができた。

彼は白骨想に精通しており、常に、内在の白骨でもって、不浄を修習して、初禅に到達した後、観の修習、すなわち、名色法、それらの因、及び無常・苦・無我の本質を識別していた。

これが、彼にとっての、通常の修法であった。

ある日、彼は、托鉢の為に、アヌラダプラ(Anuradhapura)から、大村(Mahāgāma)に行って、食を集めようとして(piṇdapāta)、大村に向かって歩いていた時、路上で、一人の女性が、彼の注意を引き付け様と思って、彼に向かって、大きな声で笑った。

彼は、この笑い声を聞き、同時に、彼女の方を見たが、しかし、見えたのは彼女の歯だけであった。

その為、それでもって白骨想の修習を始めた。

それ以前の修行のおかげで、彼が見たのは、一幅の骨格であって、一人の女性ではなかった。

彼には、一幅の骨格のみ見えた。

その後に、彼は、自分自身の骨格に専注し、初禅に到達したので、迅速に観の修習を実践し、結果、路上に立ったまま、阿羅漢を証悟したのである。

元々、その女性は、夫と喧嘩をして、実家へ帰ろうとしていたものである。彼女の夫が追いかけて来て、マハーティッサ大長老に出会ったので、訊ねた;

「尊者、あなたは、一人の女性が、道を歩いていたのを見ませんでしたか?」

大長老は答えた:「おお、施主よ(dāyaka)、私は男性とか女性とか、その様なものには出会っていない。ただ、一幅の白骨が道を歩いていたのを見ただけである」。

当該の物語は《清浄之道・説戒品》(Vm.15 )に見ることができる。

この例では、マハーティッサ大長老の様に、徹底的に白骨想の修行をする禅修行者は、目を開けたまま、他人の骨格を見ることができる、ということを示している。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>