問4-11:すでに32身分を識別できる様になった禅修行者は、目を開けたまま、他人の身体内部の32個の部分(身分)を見ることができますか?
答4-11:状況によっては、可能である。
初心者は、目を開けている場合に見えるのは、外部に見える身体(身分)だけである。
彼は、観智の眼でもってようやく、内在の身体を見ることができる。
もし、あなたが、これらの事柄を科学的に理解したいというのであれば、己自身の観智でもって、見る様にチャレンジする事を勧める。
しかしながら、マハーティッサ大長老(Mahātissa Mahāthera)は、彼の以前の修習によって、彼は目を開けて他人の骨格を見ることができた。
彼は白骨想に精通しており、常に、内在の白骨でもって、不浄を修習して、初禅に到達した後、観の修習、すなわち、名色法、それらの因、及び無常・苦・無我の本質を識別していた。
これが、彼にとっての、通常の修法であった。
ある日、彼は、托鉢の為に、アヌラダプラ(Anuradhapura)から、大村(Mahāgāma)に行って、食を集めようとして(piṇdapāta)、大村に向かって歩いていた時、路上で、一人の女性が、彼の注意を引き付け様と思って、彼に向かって、大きな声で笑った。
彼は、この笑い声を聞き、同時に、彼女の方を見たが、しかし、見えたのは彼女の歯だけであった。
その為、それでもって白骨想の修習を始めた。
それ以前の修行のおかげで、彼が見たのは、一幅の骨格であって、一人の女性ではなかった。
彼には、一幅の骨格のみ見えた。
その後に、彼は、自分自身の骨格に専注し、初禅に到達したので、迅速に観の修習を実践し、結果、路上に立ったまま、阿羅漢を証悟したのである。
元々、その女性は、夫と喧嘩をして、実家へ帰ろうとしていたものである。彼女の夫が追いかけて来て、マハーティッサ大長老に出会ったので、訊ねた;
「尊者、あなたは、一人の女性が、道を歩いていたのを見ませんでしたか?」
大長老は答えた:「おお、施主よ(dāyaka)、私は男性とか女性とか、その様なものには出会っていない。ただ、一幅の白骨が道を歩いていたのを見ただけである」。
当該の物語は《清浄之道・説戒品》(Vm.15 )に見ることができる。
この例では、マハーティッサ大長老の様に、徹底的に白骨想の修行をする禅修行者は、目を開けたまま、他人の骨格を見ることができる、ということを示している。