<#36>シリーズは、中国語原文<P228~P252>までの、脚注の翻訳です。
<注220>=パオ・セヤドーの、当時の聴衆は、多くは北伝大乗の信徒であった。彼らの目標は、阿羅漢ではなく、仏陀になることである。
<注221>=問答5-4に引用した仏陀の言葉を参照の事。中国語原文P 285。
<注222>=<抜希亜長老伝記>(Bāhiyatthera Apadāna)(Ap.2.54.6及びその義註)
<注223>=<樹皮を被る抜希亜長老の物語>(Bāhiya Dārucīriyatthera vatthu)(A.A.1.216)
<注224>=《清浄之道・慧の分類論》(Paññāpabhedakathā)(Vm.429)
<注225>=《分別[論]義注・経分別釈》(Suttantabhājanīyavaṇṇnā)(Vbh.A.406)
<>=《陶師経》(Ghaṭikāra Sutta)。当該の經は、第1、2、3、4項のみ列挙。第五項目は、「往復義務実行の沙門法」(gatapaccāgatavattaṃ pūrayamānā samaṇadhammaṃ karontā)で、
それはすなわち、不断に禅(止と観)の修習をする事であるが、それには外出して食を集める事、及び食を集め終わったならば、住居に帰る事が含まれる。菩薩の修行に関する描写のある文献から見て取るに、第五項は、第5、6、7項に分ける事ができる、と理解することができる。
その他の語彙の解釈の中において、沙門法(samaṇadhamma)は、この7項の修行すべてを指すものと考えられる。(M.A.2.286)
<注227>=これはすなわち、経典を学習する義務(ganthadhura)を言う。また「学」(pariyatti)とも言う:
第2-7項は、観の修習の義務(vipassanādhura)を言う。すなわち、「修」(paṭipatti)である。中国語原文p13参照の事。
<注228>=四種類の遍浄戒に関しては、問答2-3、中国語原文p132参照の事。
<注229>=林野の住む事は、13種類の頭陀支の内に含まれるが、しかし、義注は、強調する為に、特にこの点を指摘している。
<注230>=これはすなわち、行捨智(Saṅkhārupekkhā-ñāṇa)である。