Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』Knowing and Seeing#50-1

<#50-1>は、中国語原文p378~p398の脚注の翻訳です。

<注416>=ウェサーカ祭:上座部仏教の中において、仏陀の誕生、成仏、般涅槃の日は、陽暦5月(古インドのVesāka月)の満月の日であった為、この名称がある。

<注417>=《大般涅槃経》(Mahāparinibbāna Sutta)の義注(D.A.2.164)。

<注418>=色七法観と、非色七法観に関しては、中国語原文p335及びその後に記載の内容を参照の事。

<注419>=仏陀の修行した観智と入果定に関しては、中国語原文p397の章節の注Aを参照の事。

<注420>=穀酒、果実酒と酒類(surā-meraya-majja):仏陀が《律蔵・飲酒学処》(Surāpānasikkhāpadaṃ)(Pc.328)で述べた内容と、《長部・シンガーラ経》(Siṅgāla Sutta)の義注(D. A. 3.247)、復注と《分別[論]義注・学処分別》(Sikkhāpadavighaṅga)(Vbh. A. 703)の解釈によると、surā は、穀酒、例えばビール、麦芽酒などを指す;merayaは、果実酒の事で、例えば葡萄酒等、発酵酒と蒸留酒(例えばウィスキー、ブランデー等)を含む。majjaは、酒類、アルコール、麻酔性飲料の総称である。

<注421>=詳細は「如何にして色聚を分析するか」中国語原文p203及び「表2c:身体の基本的色法」中国語原文p226参照の事。

<注422>=四念処。

1)身;2)受;3)心;4)法。

「法」は、名身(nāmakāya)のその他の構成部分を指す。仏陀はまた、法を、五蘊、12処、五蓋、七覚支と四聖諦として解釈している。実際は、法の多くの方面を完全に分けることは出来ない。というのも、一つひとつの方面は、その他の全ての方面が含まれているが故に。

例えば、四聖諦を徹底的に知るという事は、すなわち、八支聖道を徹底的に知る事であり、徹底的に八支聖道を知る事は、すなわち、徹底的に七覚支を知ることであり、それはすなわち、名色法、五蘊、12処、等などを徹底的に知る事でもある。

故に、覚悟(悟り)を実現させる為に、37菩提分法(bodhipakkhiya-dhamma)のすべてを、徹底的に知る必要があるのである。

<注423>=パオ・セヤドーの、観の修習において、ただ受だけを観照することに関する説明は、問答4-6、中国語原文p242を参照の事。

<注424>=五根の説明に関して、中国語原文p77とその後に記載される内容を参照の事。

<注425>=無相の涅槃を所縁とする阿羅漢果定に関しては、章節の注A,中国語原文p397を参照の事。

<注A>=果徳瑪仏は、三種類の阿羅漢果定を擁していた。1)道無間果定(Maggānantaraphalasamāpatti)。

2)受用果定(Vaḷañjanaphalasamāpatti)。

3)寿行果定(Āyusaṅkhāraphalasamāpatti)。

1)道無間果定:この種の阿羅漢果定は、阿羅漢聖道善業の後、即刻、生じる。それは、絶え間なく、果報を齎すという特徴がある。また、刹那果定(Khaṇikaphala-samāpatti)とも言う。

仏陀の阿羅漢聖道の後において、絶え間なく生起した三個の果心刹那は、まさにこの種の果定に属するものである。

2)受用果定:これは、一人の阿羅漢が、その意欲に基づいて、進入し、かつ受用する阿羅漢果定である。

涅槃の寂静の楽を享受する果定であり、同じく、刹那果定(Khaṇika-phalasamāpatti)とも言う。仏陀は、この種の果定に、随時進入する、法話をしている最中であっても、聴衆が随喜によって「サドー」と言うときであってもさえも。

3)寿行果定:この種の阿羅漢果定は、常に、色七法観と非色七法観の修行の後に生起する。これは、我々の菩薩が、大菩提樹の下において、覚悟(悟り)を得た時に修していた観法である。

仏陀は、木橘村において、背中の痛みが発生したその日から始めて、彼が般涅槃するまでの間、毎日、この様に観の修習を実践していた。

すなわち、この観法を完成させた後、この種の阿羅漢果定に入る前、仏陀は観から出て、かつ、決意する:

「今日から、大般涅槃の日まで、この苦受が再び生起することの無い様に願う」

そして、続いて、観の修習を行い、その後に、阿羅漢果定に入るのである。

刹那果定と、寿行果定の間の区別は、入定の前に修習していた所の、観法の違いである。刹那阿羅漢果定は、ただ涅槃の寂静の楽を享受するだけであって、入定の前は、普通の観法を修習するだけでよい;寿行阿羅漢果定は、更に大きな努力を払って、更に高レベルの観法、すなわち、色七法(rūpasattaka)と非色七法(arūpasattaka)を修習することを要求される。二者の効果もまた異なる;刹那阿羅漢果定は、定に住している間のみ、病痛を鎮伏することができる。それはちょうど、一つの石を水の中に投げ込んだ所、石の衝撃の残る期間のみ、水面を清潔に出来るが、その後には、水草はまた元の様に、繁るのと同じである。

寿行阿羅漢果定は、決意した期間内(ここでは10か月)痛苦を鎮伏することができる。ちょうど、一人の、強健な男子が、湖の中に入って、水草を清掃するのと同じで、相当の長時間、水草が水面を覆うことはない。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>