三番目の例は、止・観及び道、果の心である。
これらの心は、非常に純粋、清らかであって、力があり、殊勝なものである。というのも、それらには、汚垢(upakkilesa)がないが故に。
これらの心は多くの代の、純潔で清ら、殊勝な心生色法を生じせしめることができるが、その中の地界、風界と火界は、非常に柔軟、微細である。
これらの柔軟で微細な色聚が身門(身十法聚の十番目の色法)に接触する時、禅修行者は、妙なる身体的感受、まったく沈重しない(地界が軽い)という体験をする。
前に述べた通り、すべての色聚の中の火界は、みな、時節生色聚を生じせしめることができる。
故に、これら殊勝な心生色聚の中の火界もまた、身体の内部と外部において、多くの時節色聚を生じせしめることができる。
これらの殊勝な心に伴って生じる所の、燦然とした、光耀と光明は、心生色聚と時節生色聚の中の「色彩」という名の、この色法の光明<注171>を源としている。
この事(事象)もまた、これらの殊勝な心を持つ禅修行者を養い育てるが、これが、彼らの皮膚と諸々の根が、みな、非常に清らかで清浄で、光耀いている原因である。<注172>
例えば、アヌルッダ(Anuruddha)尊者の天眼智(dibbacakkhu abhiññāṇa)が生じせしめる色法は、一千個の輪囲世界(地球を取り巻いている世界)に広がっているが、それらの世界は、殊勝な心生色法によって照らし出され、かつ、彼には、それを、はっきりと見る事ができた。<注173>。
同様に、もし、あなたが、充分な専注(力)、純粋な心を育成するならば、その他の生存世界を見ることができる可能性があるのである。