南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#33-11

三番目の例は、止・観及び道、果の心である。

これらの心は、非常に純粋、清らかであって、力があり、殊勝なものである。というのも、それらには、汚垢(upakkilesa)がないが故に。

これらの心は多くの代の、純潔で清ら、殊勝な心生色法を生じせしめることができるが、その中の地界、風界と火界は、非常に柔軟、微細である。

これらの柔軟で微細な色聚が身門(身十法聚の十番目の色法)に接触する時、禅修行者は、妙なる身体的感受、まったく沈重しない(地界が軽い)という体験をする。

前に述べた通り、すべての色聚の中の火界は、みな、時節生色聚を生じせしめることができる。

故に、これら殊勝な心生色聚の中の火界もまた、身体の内部と外部において、多くの時節色聚を生じせしめることができる。

これらの殊勝な心に伴って生じる所の、燦然とした、光耀と光明は、心生色聚と時節生色聚の中の「色彩」という名の、この色法の光明<注171>を源としている。

この事(事象)もまた、これらの殊勝な心を持つ禅修行者を養い育てるが、これが、彼らの皮膚と諸々の根が、みな、非常に清らかで清浄で、光耀いている原因である。<注172>

例えば、アヌルッダ(Anuruddha)尊者の天眼智(dibbacakkhu abhiññāṇa)が生じせしめる色法は、一千個の輪囲世界(地球を取り巻いている世界)に広がっているが、それらの世界は、殊勝な心生色法によって照らし出され、かつ、彼には、それを、はっきりと見る事ができた。<注173>。

同様に、もし、あなたが、充分な専注(力)、純粋な心を育成するならば、その他の生存世界を見ることができる可能性があるのである。

<翻訳文責: 緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>