Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(88−1/2)(私家版)

次に8種の無明と、無明の縁により、如何にして行となるかを解明する。      1.無明は、5取蘊は苦諦めさである事を知らない上に、5取蘊を執取する事を、楽しいと錯誤している。《中部》75経に以下の様な記載がある。。。          一人の先天性盲目の人がいて、黒色、赤色などを見た事がなく、彼にとって色彩は何の意味もなさない。ある時、彼は、己の友人が、白い上着が、白くて汚れのない事を賛嘆するのを聞いて、白い衣服に非常に強い執着を覚え、家に戻って父母に白い服をねだった。父母は:「あなたは盲目だから、白い服、黄色い服、青い服など、あなたにとって何も意味がない。」といい、彼の望みを無視した。しかし、彼は非常に強烈に白い服を着たいと欲し、友人の所へ貰いに行った。彼の友人は、彼にボロボロに破れた、炭の様に黒い服を上げて、言った「これは瑕疵のない純白の服だ。」……… 彼は喜んでそれを身に着け、あちらこちらに出かけて、己の白い服を見せびらかした。その後、友人が彼の行いを母親に知らせたので、母親は、彼に言った:「あなたが着ているのは、ボロボロの黒い服で、白い服ではない」。しかし、盲目の人は、父母が己の白い服に嫉妬しているのだと考え、父母を無視した。彼の父母は仕方なく、腕のよい眼科医を探し出して、彼の目を治療して貰った。彼は己の炭の様なボロボロの黒い服を見て、初めて、友人が彼を騙したのだと、知った。。。。。。         この友人とは、即ち、己自身の心である。心はずっと我々を騙し続けているのである。ボロボロの黒い服は、5蘊である。5蘊は、過患が充満しているが、しかし、盲目の為、我々は己がボロボロの黒い服を着ている事に気が付かないし、心に騙されて、着ている服は、純白で、瑕疵のない白い服だと思い込み、強烈な執着まで起こしてしまう。無明は、5蘊が苦痛であることを知らないだけでなく、過患が充満しているのも知らず、5蘊に執着して、5蘊をば、楽しいものだと錯覚さえしているのである。。。。。。。                無明は、如何にして行の縁になるのか?   行は三種ある。。。。           非福行、福行、不動行である。。。     衆生は無明の為、5蘊を執取するのは苦諦である事を知らないだけでなく、5蘊は楽しいものだとして執着する。。。        こうして、12種の不善心で構成された身・口・意非福行を造す(なす)。。。   どの様な執取も、業をなす。。。。    例えば、毎日化粧することばかりにかまけ、己を美化し、善業を修することがない、これも又非福行である。         5蘊を楽しいものと見做す事によって、善業(福行)をなす事もある。。。       例えば、布施をする事によって、天神の5蘊を得ることを期待する、など。。       彼は無色禅を修行するかも知れない。無色界の中の四蘊(不動行)を得たいのかも知れない。というのも、無色界には色蘊がなく、名蘊しかないが故に。。。         以上が、無明がどの様にして行の縁になるか、と言う例である。