Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(104-5/6/7)(私家版)

2.悲                 苦痛の中にある衆生を対象に取る。他人が苦痛の中にあるのを見て、心は忍ばず、我々は、支援の手を差し伸べて、彼が苦痛から抜けられる様に願う。もし、我々の支援が成功しないで、彼と共に泣いてしまうならば、それは悲ではなくて、瞋である。悲心も又三禅に到達する事ができる。。。。                3.喜……………………                  他人の成功や富裕を随喜する。他人への敬いの態度であり、他人の成功への嫉妬や不満を取り除く事ができる。実は、喜は修行し易いのであるが、しばしば、忘れ去られるのである。誰かの成功を見た時、それが世間的な事業であっても、出世間的な成就であっても、彼の功徳に随喜する事は、我々自身にも法の喜びを齎してくれる。というのも、他人の功徳は、自分のものと同じであっる。人がこの様な苦労をして成功した結果、我々に祝福される。この修行は非常に良い法門である。随喜の所縁は、何かの方面に成功した人物とする。例えば、初禅に到達しない禅修行者は、 ジーャナに成功した人を随喜する。嫉妬してはならない。ジーャナに到達する人は、多くの世においてそれを修行して来たので、今世は比較的容易に成功するのである。過去世で彼は勇猛に精進した。あなたは、ままごとをして遊んでいた。。           彼と自分を、比べてはならない。                 4.捨                梵住に属する捨は、執着がなく、嫌悪もなく平等に他人に対応する心境の事である。平等な態度が、主要な特徴である。捨に到達する為には、先に慈から開始し、その後に悲と喜を(修)する。慈と悲と喜は、三禅に到達する事ができる。その後に三禅から直接捨に入り、四禅に到達する。ある時禅修行者は師に尋ねる事がある。「私は今捨を修している。初禅、ニ禅、三禅、四禅から捨に来ました。」師は笑う「本当に?」捨には、喜は存在しない。初禅、ニ禅、三禅共に喜と楽が存在している。どうして捨と共存でき様か?《アビダンマ論》によると、慈、悲、喜は四禅に到達する事ができる。捨は五禅である。