Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『自分という壁』

大愚元勝和尚著『自分という壁』を読みました。。。。                飛ばし読みですが、感想を少々。。。。。         基本的に、とてもよい本だと思います。。仏教では、貪・瞋・痴は煩悩であり、苦しみを減らし、よりよく生きるには、それを断つべし、と言いますが、その根拠を、分かり易い言葉で、論理的に説明しています。。                私が長年翻訳してきました、アビダンマやパオ・メソッドは、瞑想するのが習慣になっている人々には参考になりますが、瞑想の習慣のない方々には、大愚和尚の推奨する無常・苦・無我を理性で考え、理性で受け入れる【如理作意】から入るのがよいかと思います。ただ【如理作意】だけで、vipassanā瞑想 (=無常・苦・無我の直接的知覚) に欠けるなら、智慧の獲得への弱点は残ります(注)。。。                 大愚和尚は、また、最近流行の〈マインドフルネス〉を批判しています。ヨガも流行ると(本質からずれて)美容術になり、マインドフルネスも流行ると毒になる。。。。   なかなかだと思います。。。。。。。。。。        (注) 仏陀教えて曰く【定のない者、vipssanā のない者は、真理・実相を如実に見る事ができない。】 。。。。。。。。       追加:和尚は、p253 〜で、25の善心所を説明するに当たって、身軽安、身軽快性等の、〈身〉と有る部分を、全て〈身体〉として解説していますが、パオ・セヤドーは、身=心所としています(心所の軽安、心所の軽快性、となります)。パオ・セヤドーによりますと、心心所、息等の発生は、身体を必要としているので、パーリ語の Kāya は、身体を意味する以外に、心心所、息等を意味する場合があるとの事。kāya の漢文直訳は、身、身体ですが、その内包する意味は複合的で、文脈によって、身体、心心所、息などと、変化します。ご参考まで。。。