問7-16:どの様にして、長時間修行したため、または一人で森林に住むために生じる退屈心と、(修行を)面倒だと感じる心を克服しますか?これらの心は、不善法ですか?
答7-16:この種の心は、懈怠(kosajja)と言う。通常は、貪または瞋恚等と相応する所の微弱な不善法である。この種の心は、不如理作意によって生起する。もし、一人の人間が、不如理作意を改めて、如理作意と取り換えるならば、彼の禅修行は成功する。
この種の心を克服するため、あなたは、時には、我々の釈迦牟尼菩薩が仏陀になったのは、彼の堅忍不抜が源となっていることを憶念するべきであり、また、あなたはそれらの精進努力、万難を履歴して初めて禅修行の成就を見、かつ、最終的に阿羅漢を証悟した聖者たちの物語を憶念するべきである。奮闘を経ないで、卓越した成就を得ることが出来る人はいない。
禅修行では、堅持することは必要であり、如理作意もまた非常に重要である。
あなたは、縁生法の無常・苦・無我の本質に留意することにチャンレンジするべきである。
もし、この様にするならば、いつの日か、あなたは成功するに違いない。
問7-17:セヤドーに、無明(avijjā)、愛(taṇhā)、取(upādāna)という、これらに相応しないという願望(を実現する)例を説明して頂きたい。
答7-17:もし、あなたが、善業をなしている時に、観の修習を実践し、これらの善業の無常・苦・無我の本質を観照するならば、無明(avijjā)、愛(taṇhā)、取(upādāna)は生起しない。
もし、あなたには、観の修習をする能力がないのであれば、以下の様に発願することもできる:
”Idaṃ me puññaṃ、nibbānassa paccayo hotu.”
ーー「私のこの功徳が、涅槃を証する縁となります様に!」
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>