一名の男性禅修行者の識別
また別の多少異なる例を挙げる。
一人の男性の禅修行者が、臨終の名色法を識別している時、四種類の業が、我先に熟せんとして争っていた。
その中の一つは、仏典を教授する業、
二つ目は、仏法を指導する業、
三つ目は、禅修行の業、
最後は、禅を教える業。
彼は、この四種類の業の内、どの業が、今生の果報五蘊を引き寄せたのかを追跡・調査した所、それは禅修行の業であった事を発見した。
更に一歩進んで追跡・調査した所(どの様な種類の禅修の業処を修習していたのかを、識別する)、それは観禅であり、まさに、名色法の無常(anicca)・苦(dukkha)・無我(anatta)の三相を観照している最中である事を発見した。
更に一歩進んで追跡・調査した所、彼は、毎回の座禅の前と後において、(来世も)男性に生まれ、出家して比庫になり、仏陀の教法を宣揚したいと発願している事を発見した。
この例の中において、
1)「男性、比庫または仏法を宣揚する比庫」が真実に存在していると錯覚するのは、無明(avijjā)。
2)男性、比庫または仏法を宣揚する比庫の生命を貪欲に求め、渇愛するのは愛(taṇhā)。
3)男性、比庫または仏法を宣揚する比庫の生命を執取するのは取(upādāna)。
4)観禅の修習を実践する善行は行(saṅkhāra)。
5)業すなわち、それらの業力。
<翻訳文責:緬甸パオ森林/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>
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