Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#27-14

故に、観の修習をする前、なお、四種類の清浄が存在している。

何故であるか?

観の修習とは、名色及びその因、無常・苦・無我の本質への観照を言う。

いまだ名色とその因を見ないのであれば、それらの無常・苦・無我をどの様に観照せんというのであろうか?

如何にして観の修習を実践するのか?

唯一、徹底的に、名色及びその因を識別した後に初めて、我々は、観の修習を始めることができる。

名色法及びその因は「諸行法」(saṅkhāra)と言う:

それらは、一たび生起するや否や、滅し去る、故に無常である;

それらは不断に生・滅の圧迫にさらされているが故に、苦である;

それらには自我(atta)がない、安定と不壊滅の実質がないが故に、無我である。

この様に無常・苦・無我を観照して、初めて真正の観の修習と言える。

故に観の修習を始める前、我々は、禅修行者に対して、名法、色法と縁起を識別する様に指導する。

義注の中においては、以下の様に解説する:

”aniccanti pañcakkhandha”<注129>と”aniccanti khandha pañcakaṃ”<注130>であると。

その意味は:

「無常とは五蘊の事である」

五蘊、言い換えれば、すなわち、名色とその因である。

故に、真正の観の修習とは、あなたに対して、五蘊及びそれらの因と果を知見する様に、要求するものなのである。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>