Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『智慧の光』(3-7/8)〈K氏依頼分〉

禅相がまさに出現しようかという時、多くの禅の修行者は、ある種の困難に出くわす。特に、息が非常に微細になり、それを察知する事が出来なくなる時、等において。。。………………………………………………………………もし、この様な現象が生起したならば、その直前、息を覚知し得ていた時点まで戻り、息が再度現れるのを待つのがよい。…………               ただ七種の “人“ だけが呼吸をしない。即ち:死者、胎児、溺水者、知覚を失った者、第四禅の定に入った者、滅尽定に入った者、梵天神である。。。………………………………あなたはその中の一人であるかどうかよく思省し、ただ正念の強さが足りないが故に、呼吸の息を覚知する事が出来なくなっただけである(と知るべきである。)。。 …………                 呼吸を明確に知覚したいと思う余りに、故意にそれを鮮明にしてはならない。もし、あなたがこの様にするならば、定力を育成する事が出来ない。ただ、如実に息を覚知する事。。。……………………………………………………もし、息が鮮明でないならば、必要なのは、その直前の、それを覚知し得ていた場所において待つ事、だけである。。…………この様に、あなたが “念“ と “慧“ を運用するならば、息は再び現れる。。   もし、心が非常に安定的に微細な息に専注する事ができるならば、禅相は現れる。初めて禅相が現れた時、注意力を息から禅相に転換してはならない。この様にすれば、それは消失してしまうであろう。。。