『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(6-7)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
第三節 全息
呼吸の全身を覚知する
【(3)彼は学ぶ:
’私は、全身を覚知しながら、入息をする’
彼は学ぶ:
’私は、全身を覚知しながら、出息をする’】
ここで言う ’全身’ とは、頭から足までの全身の事を言うのではなく、それは呼吸の過程全体の事を言うのである。(注39)
”全身を知覚する” とは、入息と出息の、その始まりから、途中、最後までの過程全体を指し、かつ鼻孔の出口または上唇一帯の接触点においてそれを知覚する事を言う。
呼吸とは、大量の、九種類の色法を擁する心生色聚にすぎない:
すなわち、地界、水界、火界、風界、色彩、匂い、味、栄養素と呼吸の音である。
これらの色聚は、身(注40)の如くに生起する為、故にそれらは ”身” (kāya)と呼ばれる。
こうしたことから、重要な事は、仏陀のここで行った指示の内容を誤解しない事である。
字面の上では、仏陀は全身を知覚すべしと述べてはいるものの、しかし、その意味は接触点において呼吸の過程全体を覚知するというものである。
《清浄道論》の中では以下の様に言う:
”Phuṭṭhaphuṭṭhokāse pana satiṃ ṭhapetvā bhāventasseva bhāvanā sampajjati. ”
”ただ念を接触点においた修行者のみが、[入出息念の]修習に成功することができる。”
あなたは、入出息に正念を投入しなければならないし、また鼻孔の出入り口、または上唇一帯の接触点において、それを覚知しなければならないのであって、他に方法は、ないのである!
これが、あなたの定力を上昇させることが出来、かつジャーナを証得することのできる、唯一の方法なのである。
もし、あなたが接触点において、頭から尾まで(+すなわち最初から最後まで)の入出息を、約一時間ほど、平静に覚知してもなお、禅相が出現しないのであれば、あなたは第四の段階の修習ーー呼吸の身の行を平静にするーーに転換しなければならない。
<注39>仏陀は《中部・入出息念經》(Ānāpānassati Sutta)の中において、ここで言う身とは、呼吸身の事である所の説明している:
”比丘たちよ。比丘はいつ何時であっても・・・彼は学ぶ:’私は全身を覚知する・・・私は身の行を平静にする’
比丘たちよ。この時比丘は、身随観身において住し・・・比丘たちよ。諸々の身の中において、私はこの様に言う、その内の一つの身は、すなわち、入出息であると(Kāyesu kāyaññatarāhaṃ、bhikkhave、evaṃ vadāmi yadidaṃ assāsapassāsā)。”
《中部・小智解經》(Cūḷavedalla Sutta)において、三種類の行(saṅkhārā)を解説する時、法施阿羅漢もまた入出息は身行であると言う。というのも、それらは身体に依存するが故に。《相応部・第二珈馬菩經》(Dutiyakāmabhū Sutta)の中においても同様な解説がある。
<注40>パーリ語のkāyaは、直訳すると身であるが、また聚集する、積み重なるという意味も持つ。
(6-8につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>