Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『智慧の光』(2-6)<K氏依頼分>

【有分に落ち込むのを涅槃を証悟したと誤認する】………………………………………………………………《清浄道論》(第四章32-33節)の中において、禅修行者は近行定のレベルの時に、有分に落ち込む可能性がある事に、言及している。。。………………………………………………………………それは以下の様に言う:“ 二種の定がある。即ち、近行定と安止定である。心は、二種の方式で以て、定を得る。即ち、‘近行地‘ 又は ‘獲得地‘ においてである。‘“ ここにおいて、心は諸々の蓋を捨て断じて、その結果 ‘近行地‘ において定を得、又、諸々の禅支の顕現を以て、‘獲得地‘ において定を得るのである。この二種の定の違いは、近行では、諸々の禅支は十分な強固性が不足する。それらが、強固性を不足しているが故に、近行定が生起した時、心は禅相を目標に取った後に、有分に落ち込んでしまう。それはまさに、幼い子供が、人に支えられて立ち上がったものの、又地面に倒れ込むのと似ている。しかし、安止定の時は、禅支は強く力があり、安定しているものである。それらが、安止定の生起する時は強固であるが故に、心が、有分の流れを中止した後、善速行として、一日中、夜の間も、継続して中断する事がない。例えば、強健な人は、立ち上がった後、一日中、立ち続ける事ができるのと同じである。(注17)…………………………………………       ★願以此功徳、早日証得涅槃楽!