Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

パオ・セヤドー問答集~#080>問答(八)問8-1

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#080-150820

問8-1 禅師にお尋ねします。通常、禅那(ジャーナ)は、何種類になりますか?

答8-1 ジャーナは二種類あります。世間禅(lokiya-jhanā)と出世間禅(lokuttara-jhāna)です。

世間禅は、私がすでに説明したように、初禅、第二禅、第三禅と第四禅があります;これらは世間禅です。

出世間禅は、あなたが観禅(vipassanā)の修行をして行捨智(saṅkhārupekkhā-ñāṇa)に到達した時、あなたは名と色、因と果の無常、又は苦、又は無我を照見し、かつ、同時にジャーナ法の三相を識別する事に努力・強化します。あなたが初禅法の無常・苦・無我の本質を照見する時に、涅槃を証悟したならば、その時の道智と果智は初禅道智と初禅果智です。どうしてそれらを初禅というのか?とうのも、その道智と果智の中には五禅支があるからです;これが出世間禅です。

同様に、あなたが第二禅法の無常・苦、又は無我の本質を照見している時に、涅槃を証悟したのならば、その道智と果智は、第二禅道智と第二禅果智(第二禅法)と言います。これも出世間禅です。その道智と果智の中には、喜、楽と一境性があり、尋と伺がないので、三種類の禅支がある、と言うのです。

同様に、第三禅のジャーナ法の無常・苦又は無我の本質を照見している時、あなたは涅槃を証悟する事ができます。この時のあなたの道智と果智は第三禅法といいます;これも出世間禅です。その道智と果智の中には二種類の禅支があります:それは楽と一境性です。

同様に、第四禅のジャーナ法の無常・苦又は無我の本質を照見している時、あなたは涅槃を証悟する事ができます。この時のあなたの道智と果智は第四禅法といいます;これも出世間禅です。その道智と果智の中には二種類の禅支があります:それは捨と一境性です。

同様に、あなたが無色界禅のジャーナ法の無常・苦、又は無我の本質を照見している時も、涅槃を証悟する事ができます。その時のあなた道智と果智は、やはり第四禅法といいますが、それはそれらの道智と果智の中に二種類の禅支、捨と一境性があるからです。上記は、止観行者の状況です。

未だジャーナに至っていない純観行者は、四種類の色法(業生、心生、時節生、食生)と欲界名法(kāmāvacara-nāma-dhamma)の無常・苦・無我の本質を照見します。色法について言えば、実際に観禅(vipassanā)の対象となるのは、18種類の真実色で、名法について言えば、純観行者の観禅(vipassanā)の対象は、欲界の名法だけです。欲界の名法とは、六門心路過程の事です:眼門心路過程、耳門心路過程・・・。純観行者は未だジャーナに到達していないので、ジャーナ法の無常・苦・無我を照見する事は出来ず、彼らは色法と欲界名法の無常・苦・無我を照見出来るだけです。これらの名法の中にはジャーナ法は含まれません。

純観行者が名法または色法の無常・苦・無我の本質を照見している時にも、涅槃を証悟する事はできます;その時の彼らの道智と果智もまた初禅法と言います。なぜか?彼らの道果と果智の中にも五禅支:尋、伺、喜、楽と一境性があるからです。これは世間禅ではなく、出世間禅です。

 (翻訳文責Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます)。