Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー問答集~#086,087>聞答(八)問8-7,8-8

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#085-150824

8-7 修行者は来世に生まれる場所をどのようにして、選ぶことが出来ますか?

8- 通常、生まれ変わりを生じさせる業は二種類あります:一つは欲界業(kāmāvacara-kamma)で、もう一つは広大業(mahaggata-kamma)です。

欲界業の範囲は広いです:布施(dāna)は欲界業です;持戒(sīla)も欲界業です;安止定の前、近行定を含む段階の止禅の修行(samatha-bhāvanā)もすべて欲界業です;観智(vipassanā-ñāṇaも欲界業です;すべての不善業(akusala-kamma)もみな欲界業です。

広大業とは、色界禅業(rūpāvacara-jhāna-kamma)と無色界禅業(arūpāvacara-jhāna-kamma)で、全部で八種類の定(samāpatti)です。

これらの業の中で、広大業は強くて力があります。もし、臨終のその時まで、ジャーナを後退させないで、維持できるのであれば、ジャーナは人をして梵天界に生まれさせる事ができます;しかし、死ぬ前にジャーナが失墜してしまったならば、それは、(人を)梵天界に生まれせしめるという効用は、たとえば、デーヴァダッタのように、彼のジャーナは、彼を梵天界に生まれせしめる事はできませんでした。

もう一つの強くて力のある業は、ヴィパサナの観智です。もし修行者が観禅を修行して行捨智(saṅkhārupekkhā-ñāṇa)に到達しているか、又はその他の観智の段階に到達しているならば、この善業のおかげで、彼は善道に生まれ変わります。

その他の善業は、皆不確実です。「不確実」とは:もし、臨終のときの臨死速行心(maraṇāsanna-javana)が善ならば、彼は善道に生まれ変わります。;もし、臨死速行心が不善ならば、彼は四悪道に生まれ変わります。臨死速行心は、一生のうちの最後の速行心で、それは一人の人間が善道に生まれるか、悪道に生まれるかを決定する事ができます。もし、この速行心が善であるならば、善道に生まれ変わり、もし不善ならば、悪道に生まれ変わります。

そして、観智は臨終のときに、不善速行心が生起するのを防ぐ事ができます。もし、かつてジャーナに到達した事があり、また、このジャーナが臨終の時も安定していて衰退しないならば、それは、不善の臨死速行心が生起するのを防ぐ事ができます。故に、もし、善道に生まれ変わりたいのであれば、あなた以下の努力をしなければなりません:

  1. ジャーナに到達する事。
  2. 観智を具備する事。

 

この二種類の善業は確定的です:その他の善業は確定的ではありません。次に、もし道智(magga-ñāṇa)と果智(phala-ñāṇa)を証悟する事ができたならば、この智慧は、彼を悪道に入らないように保護する事ができます;死後、彼は自分の願望に従って、善道に生まれ変わり事ができます。これが最もよい方法であり、最もよい保険なのです。

#087-150824

8-8 どうして、慈心観、悲心観、喜心観の第三禅に到達した後でないと、修行者は捨心観の第四禅に到達する事ができないのですか?

8-8 対象をただ一人の人間とする捨心観(upekkhā-bhāvanā)では力が足りないのです;一切の衆生を対象として行う捨心観の定力は強くなります。しかし、修行を始めたばかりの頃、我々は一切衆生を対象にする事ができません。故に、捨心禅が生起する前、我々は単独の対象、一人ひとりに対して、捨心を育成します。中庸で愛憎のない人に対して平等な捨心を育成するのは容易ですから、我々は中庸的な人を対象にする修行から始めます。

慈心観は感情に近い作用です;捨心観は感情の作用を突破する事ができます。悲心観は好きと嫌い(anurodha、virodha)に近く、捨心観は好きと嫌いを突破する事ができます。喜心観は得意と歓喜に近く、捨心観は得意と歓喜を突破する事ができます。これらが、それぞれの間の違いです。捨心観が第四禅に到達できるとはいえ、捨心観の第四禅は、初禅、第二禅、第三禅を基礎としています。ただ、どの初禅、第二禅、第三禅もが、捨心観第四禅を支える事ができるとは限りません。

たとえば、安般念初禅、第二禅、第三禅は、捨心観第四禅を支える事はできません。同様に、遍処の初禅、第二禅、第三禅は、捨心観第四禅を支える事はできません。ただ慈心禅、悲心禅、喜心禅だけが、捨心観第四禅を支える事ができます。どうしてか?対象が異なるからです。安般念ジャーナは安般念似相を対象としています、地遍ジャーナは地遍似相を対象としています;しかし、捨心観は衆生を対象としていますから、この部分が異なります。慈心観、悲心観、喜心観という、この三種類の法門は、同じく衆生を対象としています;まさに、慈、悲、喜、捨のこの四つの梵住は、同じ対象を取りますから、慈心観初禅、第二禅、第三禅;悲心観初禅、第二禅、第三禅、喜心観初禅、第二禅、第三禅は、捨心観の第四禅を支える事ができるのです。

 (翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます)。