Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

是誰庵のひとやすみ~27>瓢箪から駒

日本の禅宗の本を読むと、よく<主客未分>という言葉が出てきます。

この言葉自体の意味は(本を一杯読んだ割には)よく理解・イメージできませんでしたが、安般念~アーナ・パーナ・サティの修行をするようになってから、自分の身体と意念に起こる現象、痛いとか痒いとか悲しいとかに、言葉のレッテルを貼らないで、観察のみを延々と続けるという事をやっていれば、心は主客未分になるじゃ~~ぁと、勝手に思っていました。

所が、昨日<パオ・セヤドー問答集>を翻訳していて、有分心が主人、六門心路過程が客人という言葉が・・・。あっ、そういう事か、とハタと膝を打ち・・・、といっても、これ、言葉の上で分かっただけでは、悟れませんけどね・・・やっぱり実践が大事、座禅・瞑想しなくては、ね・・・^^;。

しかし、主客未分が悟りなのかなぁ、私は無常・苦・無我の三法印を知る事が悟りだと思うけれど・・・、日本の仏教界は無常・苦・無我を言わないのは、なぜだろうか?

私は、日本で尊敬できる僧侶&師に会えないまま、50年間ずっと一人で、<主客未分>ってなんだ?って思っていたのですが、思わぬところから答えが・・・瓢箪から駒?ていうんでしょうかね??

仏教書の翻訳は、ホント、面白いです。