(6)四加行作意を修する:
「作意」とは、意識的に何か一つの境地を作り出す事である。
第六識がいまだしっかりと形成されていない、または、ある種の境地に到達していない、心の境地が専一でない時、止が得られることはないし、定も得られることがない。
言い換えれば、「諸々の心心所」による妄想、51種類の心所、五毒などの心理的行為は、いまなお汚染された状態にあり、清浄、軽安に転化・昇華されていない。そういう状況下では、どうやって定を得ることができようか?
(7)四加行作意を修習し、地を見じて、心を転ずることはできても、証を修するに、四大を転ずることができない:
一切は、四加行作意に依るけれども、色身の生理・気脈が全く改変されていない。これはあなたの方法が間違っていることを示している。
四加行の煖(=暖かさ)、頂、忍、世第一法において、いまだ究極的にそれを証得していながいために、この種の現象がおきるのである。
(8)四加行の究極を証得し、気脈が改変され、人は軽霊(=軽安)を得、光を放ち、地も動き、作意も整った。いわゆる道家の(+言う所の)陰神、陽神も成就した(すなわち、神通変化身のこと)。
これは、いわゆる、一般に言う所の「活仏」であるが、しかし、その光(清浄なる光明)は、いまだ、部分的な愛欲によって本心が汚染されている(+状況なのである)。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(13-6につづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>