Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-90

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

このように、ジャーナと尋と伺は、相応しながら生起し、これを尋有り、伺有り、という。

それはちょうど樹木に花有り、果実有りというようなものである。

しかしながら≪分別論≫においては、この教法を終始「彼は擁している、完全にこの尋とこの伺を擁している」と形容している。

その含意は同じであることを、理解しなければならない。

喜(pīti):それは心をして清く爽やかにさせる。そうであるが故に、それは喜である。

その特徴は、目標を親しいものに変える事;

作用は、心と身において爽やかですがすがしい感じを齎すか、または喜が遍満、充満する;

今ここに起こる現象は、喜悦である。

喜には五種ある:小喜、刹那喜、継続生起喜、勇躍喜、遍満喜である。

1、小喜(khuddikā-pīti):身体の毛が(+喜びで)逆立つ。

2、刹那喜(khaṇikā-pīti):異なる時間に生起した稲妻のようである。

3、継続生起喜(okkanikā-pīti):波が海岸に打ち寄せる様に、全身において、何度も遍満する。

4、勇躍喜(ubbegā-pīti):非常に強い喜で、身体を持ち上げることができる。身体は空中に浮く。

5、遍満喜(pharaṇā-pīti):この種の喜が生起する時は、全身が遍満されて、(+尿で一杯になった)膀胱のようでもあり、また、洪水で水で一杯になった洞窟のようである。

(5-91につづく)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ★誤字脱字を発見された方は、

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>。