Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

「身念処」2-11

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

記憶もまた、覚照力を形容することができる(=記憶もまた、覚照力であると言える)。

頭から足までの、色身全体(座っている色身など等)においてーー色身は無知(=知る能力を有しない)、心だけが知ることができる(=心だけが知るという能力を有している)という事を、記憶している事(=知っている事)。

注意しなければならないのは、あなたが座っている色身を観照する時、心に、実相を見たい、と言う貪念がないか、どうかという点である。

もし、己自身に、このような貪念がある事に気が付いたならば、少し休んで、貪念の消えるのを待つのがよい。もし、心に実相を見たいと言う貪念がある場合、あなたは実相を見る事ができない。

仏陀は言う、心に貪愛のある人は、実相を見る事ができない、と。

というのも、貪愛は、真理を隠蔽するが故に。

こうした事から、vipassanaを修する人は、根塵が接触する事によって生じる所の、煩悩を断じ除かねばならない。

修行者は、なんらかの種類の根塵が接触する時、身体または心が所縁となっている事を知る必要があるが、これらの事柄を理解したいのであれば、本書の末尾の図2-1「根界摘要」を参照されるのが良い。

(2-12につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>