<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
【以下の翻訳は、福岡ダンマダンマセンター(FDC)の法話会に供する為の資料として翻訳したものです。興味のある方はご参照下さい】
同様に、ある種の修行者は、斎戒日に、静かな場所を探して、身体の32の部分、たとえば「頭髪」「体毛」等を観想しようと計画したり、また、仏陀の神聖なる特徴を憶念しようと計画するが、しかし、友達と一緒にいるがためにそれが中断されてしまう。
これは、彼らに心念をコントロール(制御)する力がないために、情緒の起伏を許すからである。
彼らが読経の活動に参加する時、たとえば、彼らをして心を、四無量心における禅定に向けさせるようにするとしても、また慈悲の経文を誦するにしても、彼らは、彼らの心をコントロール(制御)することはできない。
思考は集中する事ができず、(+心は)目的もなく漂い出て、彼らはただ表面的な読経活動でお茶を濁すのみなのである。
これらの事実から、我々は、多くの人々は、悪業に従事する時、心智が不健全な人と、極めて似ていると言わざるを得ないのである。
(2-6につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>