Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

FDC資料『37道品ハンドブック』2-8Ledi Sayadaw著

<以下は福岡ダンマセンターの法話会に供する資料です>

〔現在使用に供する緊急用ノートPCの調子悪いため、『37・・』を優先的に翻訳します。メール送信も成功したり、しなかったりです。あしからず〕

止まることを知らない輪廻は、ちょうどこの急流のようで、心念をコントロールする能力を有しない衆生は、ちょうどこの船頭と同じであり、心は船である。

仏法のない「空(空白)」の世界において、ある種の存在から、もうひとつ別の存在へと漂流する衆生は、ちょうど、船頭が、船を動かす途中において、山や谷、森ばかりの場所で、船を接岸する岸がないのと、同じようである。

あるときには、仏法の存在する世界に生まれながら、それを認識する機会がない。というのも、彼らは「八難」の中にいるが故に。

それは、ちょうど船頭が、岸を有する町に来ていながら、夜が暗いために、法を見分けることができない、のと同じである。

あるときには、彼らは仏法のある中で、人類、天人または梵天に生まれるが、しかし、彼らは己の心をコントロールできない上に、四念住のヴィッパサナ法門を、継続的に修行する努力をしないが故に、引き続き、輪廻の中で漂っているのである。

彼らは、町に有する岸を確認しながら、舵を切って接岸する能力がない船頭のように、仕方なく、大海へと向かってしまう。

無尽の輪廻のうちに、仏法のある時代に生まれ、世間的な病苦の中から解脱する衆生の数は、ガンジス川の岸の砂粒の数より多いが、これらの衆生は、四念住の修行を通して、心をコントロールする能力をゆうしており、かつ、心念を、何か己が意識的に注意したい対象に置くことができる。

(2-9につづく)とりあえずUP。校正は後日。