Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』20-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

20 不相応縁(Vippayuttapaccayo)

この縁において、その縁法は、現在色法を支える名法であるか、または、その縁法は、現在名法を支える色法である。

これは相応縁と正反対(+の現象)になる。

相応縁の中の縁法と縁生法は、必ずや、名法でなければならず、色法は含まれない。

不相応縁は、もし縁法が名法であれば、縁生法は色法でなければならない;

もし縁法が色法であれば、縁生法は必ずや、名法でなければならない。

すなわち、この縁の縁法と縁生法の両者は、必ず、異なった種類に属していなければならない。

もし、その中の一つが色法であれば、もう一つは必ず、名法である;

その中の一つが名法であれば、もう一つは必ず、色法でなければならない。

これはちょうど、水と油を混ぜた時に、同じところに置いてあるとは言いながらも、依然として分離を保っているようなものである。

色蘊と四つの名蘊(受、想、行、識)は、同時に生じる事はあり得るが、同時に滅することはない。

また(+それらはお互いに)、依処、所縁も異なるが故に、不相応縁と言う。

色法の寿命は、17個の心識刹那である。

心と色法は、同時に生起する事はできるが、しかし、滅し去る時間が異なっている。

色法が滅し去る時、すでに、17個の心が滅し去っている。

それらの依処も異なる。

色法自体は、名法の依処である。

たとえば、眼識は眼浄色に依存して生起するが、眼浄色は地・水・火・風によって生じる為、それらはお互いに、依処が根本的に異なっているのだ、と言える。

それらの所縁も異なっており、色法は所縁を知ることはできず、ただ名法のみが、所縁を知ることができる。

この種(+の関係性)を、不相応縁と言う。

結生の時、心所依処と諸々の名蘊は同時に生起するが、お互いにとっては、不相応縁となる。

これはそれらが色法と名法に属するが故である;また、結生するその瞬間において、結生識は心識であり、心所依処と同時に生じるとは言え、心所依処の寿命は、結生識より長い為、結生識と同時に滅するという事はなく、故に(+この種の関係性を)不相応縁と言う。

(21-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより

正式に初心者瞑想指導の許可を得る)